【読書メモ】読書について

 ショーペンハウアー1800年代前半頃に活躍したドイツの哲学者であるが、本書は、そのショーペンハウアーが本を読むことについて語った本となる。

読書について (光文社古典新訳文庫)

読書について (光文社古典新訳文庫)

 

読書とは他人の頭で考えるようなもの

一般的に、 本を読むことは推奨されており、教育などでも読書の重要さを説いている事が多い。一方、ショーペンハウアーは、読書とは、自分の頭で考えるのではなく、他人の頭で考えるようなものだと断じている。確かに、読書をすると知らなかった知識を獲得できるものの、それは自分で考えた上で得た知見ではない。

とはいえ、正しい知識を得るためには本を読むことが必須ではないかと感じる。ショーペンハウアーの時代にはウェブはなかったが、最近のキュレーションメディアの暴れっぷりを見るに、正確な知識はウェブよりも本のほうが上だと感じてしまう。ただ、機械学習技術や情報検索技術の発達により、漫然と知識を蓄えてるだけでは全く意味がなくて、ショーペンハウアーの言うように、自ら思考した上で読書しないと、もしかしたら知的生命体としての人の価値は無くなってしまうのかもしれない。

言葉の乱れは心の乱れ

本書の中盤では、ドイツ語の乱れについて嘆いているショーペンハウアーが見て取れる。曰く、ドイツ語には過去完了形があったのに、なくなってきているのでけしからんとか、そんな感じである。そういえば、日本語も過去完了形が無い言語なので、英語の過去完了形を学んだときはその概念を理解するのに苦労した覚えがある。

そんな感じで、ショーペンハウアーはドイツ語の乱れに大変憤慨しており、ドイツ語をちゃんと使えもしないやつが文章を書くなとか、舌鋒鋭く指摘している。正直、ここらへんは、言葉の乱れにうるさい人が居るのは今も昔も変わらないと思い、読み飛ばしてしまった。ショーペンハウアー先生、ごめんなさい。

自分の頭で考えよ

結局のところ、自分の頭で考えよと言っている本であるが、実際どうなのかという比較試験などは当然無い。哲学書、思想書なので当たり前であるが、自分で考えたほうが良いか、自分で考えずに知識を吸収するだけで良いのかは、答えの無い問いだろう。しかし、思考することこそが人間が人間たる所以かもしれない。我思う故に我ありである。