【読書メモ】哲学がわかる 因果性

因果性とは何かという問い

因果律はこの世を支配する根源的な法則である。「サイエンス・インポッシブル SF世界は実現可能か」という本では、因果律を破ることは、不可能レベルIII、すなわち既知の物理法則に反するレベルの根源的な問題であるとしている。本書では、我々が思い描いている因果律とは何かについて哲学的な問いとして説明している。

哲学がわかる 因果性 (A VERY SHORT INTRODUCTION)

哲学がわかる 因果性 (A VERY SHORT INTRODUCTION)

 

因果性とは連続した経験的なものでしかない(ヒュームによる因果性の説明)

ボールを蹴るとボールは飛んでいく。これはボールを蹴るという原因が、ボールが飛んで行くという結果を引き起こしたものである。このような因果性は、実のところ、私達がそう経験しているからこそ、その事実に因果性があると私達が認識しているだけである。これは、18世紀の哲学者ヒュームによる見解である。

たしかに、これは正しいように思える。わたしたちは、経験的に、ある事象が連続して起きるパターンを見た場合に、そこに因果性があるとみなしている。験を担ぐといった事はその最たる例であり、実際的な効果はさておき、私たちは、塩を盛ったり、試験前にカツを食べたりすることが結果に影響をおよぼすと考えている。

反事実条件

しかし、どうも、塩を盛ったり、試験前にカツを食べたりすることを原因とするのは怪しいように思える。例えば、ある雨男がいたとして、その人が参加したイベントは必ず雨が降ったとしよう。その雨男を雨の原因として良いのだろうか。ヒューム的な経験主義の立場からすると、その雨男は原因となるだろうが、どうにもそれを原因とするのは憚れるように思える。本当に、たかが一人の人間が、天候を左右するような力を有しているのだろうか。その雨男は、サハラ砂漠へ行けば神となるのではないか。

因果性のもう一つの特徴として、反事実条件的であるという特徴がある。反事実条件とは、原因が起きなかった場合は、結果は起きないとする条件である。これはすなわち、雨男がイベントに参加しない場合は雨が降らないと説明している。実際のところ、雨男がイベントに参加しなくても、やはりイベント時に雨が降るならば、それは雨男は反事実条件的に原因とはならないと考えられる。

ところが、反事実条件は、原因が複数ある場合には成り立たない可能性がある。AがCを引き起こし、BもまたCを引き起こす場合、Aが起きなくてもCは起きるのである。シュタインズゲートで例えると、何をしても、まゆしぃは死ぬのでありその死因は確かに死因ではあるのだが、反事実条件は満たしていないように思われる。このような事象があった場合、我々は、因果性というものについてどう考えればよいのだろうか。

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原因の先行性

因果性における重要な特徴として、原因が結果に対して必ず時間的に先行するという事がある。タキオンという理論上の物質がある。タキオンとは、虚数の質量を持ち、光速より速く動く物質である。タキオンを利用すれば相対性理論に反することなく、過去に情報を送ることができるかもしれないと言われてはいるものの、それは確かではない。しかも、ビッグバン以前ではタキオンが存在していたとの見解もあるが、その存在は実験的に確かめられていない。タキオンが確認できれば因果律も破られるかもしれないとは言われているが、それは定かではなく、観測は全くできそうにないのが現状である。

FATEシリーズでは、ランサーのクー・フーリンが因果逆転の宝具を用いており、結果が原因に先行する。エクスカリバーなどの高エネルギーの大量破壊兵器、時空間の移転、魂の物質化、平行世界の運営などはどれも物理法則に反するものではなく、人類が実現できないのは単にまだ技術レベルが低いだけであるが、因果逆転はそもそもの根源的な法則に反している。このような強力な力を持つクー・フーリンではあるが、その問題は、その強力すぎる力のために、成功率が低く、なかなか因果が逆転しないことにある。ゲイボルグが強するのがいけない。

顕在化

では、因果性とは単なる経験的なものではなく、より強い、われわれの常識的な捉え方として因果性を示すにはどうすればよいか。それに答える一つの方法に、顕在化という考え方がある。つまり、原因は、なにか結果を顕在化させるような能力を有している、または、結果となる対象が、そのような能力を有しているという考え方だ。例えば、石炭は燃えるという傾向を有していて、点火のような原因は石炭の有する能力を顕在化しているという具合だ。顕在化の考えによると、因果性とは、原因とは、ある対象物に変化を引き起こす刺激を与えて、その対象物はその変化を起こす能力を有しているということになる。

ところで、ある喫煙者が癌になったとしよう。喫煙が癌を誘発するのは知られている事実ではあるが、喫煙を癌の原因として良いだろうか。たしかに、喫煙は癌を誘発する可能性を高めるが、喫煙しなくても癌になっていた可能性もあり、反事実条件にも当てはめることが難しい。喫煙が癌を顕在化した、すなわち喫煙が癌の原因であると言ってもよいのだろうか。

ある事象を起こす確率を増やすような事象は蓋然性があるという。因果というと、何か物事が必然的に起きるような印象を私達は持っているが、では、このような蓋然的な事象はどう捉えればよいだろうか?蓋然性も因果性と言って差し支えないのだろうか?

因果性と相関

本書は因果性に関わる哲学書であるが、おそらく、相関とも密接に関わっているだろうと感じる。反事実条件は擬似相関についての何か重要な示唆を与えているように思える。正直、哲学がわかるといわれて読んでみたものの、読んでいるときはよくわからなかった。しかし、こうして文章にしてみると、多少なりはわかった気にもなる。実際のところ、理解したのは半分にも満たないだろうけれど。