年収750万円で幸福度頭打ち説についての考察

年収750万円で幸福度が頭打ちになるという説がある。これは、ファスト&スローの下巻、37章「経験する自己」の幸福感、で説明されている文章が元になっていると予想している。当該箇所を引用すると以下のように記載されている。

もうそれ以上は幸福感を味わえないという所得の閾値は、物価の高い地域では、年間世帯所得ベースで約七万五〇〇〇ドルだった。この閾値を超えると、所得に伴う幸福感の増え方は、平均してなんとゼロになる。所得が多ければ多いほど、好きなところへ旅行に行けるしオペラも見られるなど多くの楽しみを買えるうえ、生活環境も改善できることはまちがいないのだから、これはじつに驚くべき結果と言える。

つまり、このツイート画像では、7万5千ドルを750万円と換算しているのだろう。その換算レートが正しいかどうかはおいておいて、幸福度にはあるていど、頭打ちがあるように見て取れる。

幸福度の測り方

では、そもそも、幸福とは一体何なのだろうか。U指数という考え方がある。U指数とは、不快な状態で過ごす時間が全体に占める割合のことであり、U指数が少ないほど幸福であると考えることができる。U指数以外にも、もっと複数の段階に幸福度を区切って調査する方法もある。

このような調査方法から考えると、たしかに、ある程度の所得があれば幸福度は頭打ちしそうではある。

幸福とは何か

たしかに、U指数のようなもので幸福度を測ることが出来るような気もする。しかし、そもそも、幸福度とはU指数で表せるものなのだろうか。この点について、「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」という書籍で議論されている。大変おすすめなのでぜひ読んでほしい。

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

 

以下、この本の説明の一部を拝借して、年収750万円説を考察してみよう。

上昇と充足

ある聡明な男がいたとする。その男は、ある日事故で脳に障害を負って幼児レベルまで知能が退行してしまった。しかし、その後は、周りの人に支えられ幸福に生きたとする。さて、私達はこの男のことを幸福だと考えるだろうか。

U指数のような指標で測ると、この男は幸福極まりないということになる。しかし、私達は普通この男のことを幸福であるとは考えないだろう。その理由は、上昇と充足という観点から説明できる。

上昇とは、地位の向上や、知識の獲得、所得の向上が幸福であると見なすことであり、充足とは現状に満足することこそが幸福であるとすることである。上昇という視点から充足を見ると、充足は現状に甘えており、人間が成長する機会を捨て去っていると批判できる。一方、充足という視点から上昇を見ると、上昇はどこまでいってもきりがなく永遠に幸福にはなれないと批判できる。

つまり、事故にあってしまった聡明な男は、主観的には充足しているかもしれないが、人間として成長する機会を失ってしまってしまっており、その意味では不幸であると捉えることも出来る。年収750万円説も同じであり、ある程度まで行くと、U指数のような値は頭打ちするかもしれないが、上昇という点から見ると際限がないと考えることも出来る。

幸せについて考える時は、上昇にとりつかれた人は幸せなのだろうかという点も考えなければならないし、人間が成長を諦めるのは幸せなのかという点も考えなければならないのだろう。

お金がないのは不幸

書籍「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」では、お金が無いと不幸になる確率は高いと述べている。これを定式化すると以下のようになる。

¬ お金がある ⇒ ¬ 幸福

これの対偶を取ると、以下のようになる。

幸福 ⇒ お金がある

つまり、幸福な人ならば、ある程度お金を持っているということになる。しかし、私達はしばしば、以下のように考えてしまう。

お金がある ⇒ 幸福

これは正しくない。お金があっても不幸である人はいるだろう。愛する人を失って、大量の保険金が手に入った人は幸福だろうかということである。お金と幸福の関係性を誤認してはいけない。