自粛期間について

コロナウィルスはコロナ禍とも形容されるように、世界中で多くの死者を出してしまい、大変痛ましい結果になっている。日本は比較的に清潔意識が高く欧米程ひどいことにはなっていないようなので、不幸中の幸いではあるだろう。

自粛期間もあり外に出られない状態が続いていたが、自分的には大変良かった。自粛となった結果いろいろな出張、飲み会がキャンセルとなり、時間ができたので自前のオペレーティングシステムプログラミング言語処理系実装が出来上がった。充実した自粛期間である。やはり研究が進むのは会議や飲み会ではなくて時間があることであると強く感じた。

しかし、新たに1年生となった人々は大変だと思う。友人や同僚もいない中で、社会から孤立してしまったように感じたのではないだろうか。これに対する妙案があればいいのだが、そうそう最高な案などでるはずもなく、オンラインミーティングを行ってお茶を濁すしかないのが現状である。今後VRが劇的に進化するか、あるいは脳に電極を差し込めるようになるといった技術革新がないと難しいかもしれない。

大学に限って言うと、普段世間では、大学はもう必要ない、大学の講義など役に立たないなどと言われてはいるものの、いざ講義の延期などになると、大学で講義を受けれないのはなんとかしろと論調がでてきてどっちやねんとも思ったりする。なんだかんだいって大学に期待しているのだろうか。ツンデレか?

自分自身、大学で何か勉強になったことはあまりないように思い、ほぼ独学で勉強していたので、大学の必要性に疑問を持ったこともあった。しかし、実際に大学で教えてみると、興味はあるけれど何から手を付けて良いのかわからない人が存外に多く、やっぱり大学って必要なんだなと思い直した。

そういえば以前読んだ本でも、物事を教えるのではなく導くのが重要であると書いてあったので、そのとおりなんだろう。特に初学者だと何が分からないかが分からないとなりがちなので、そこを導けるだけでもだいぶ違ってくるように感じる。例を挙げると、当初はUnixカーネルって何、レジスタって何と言っていた学生も、今ではLinuxカーネルコンパイルして、Qemu上でinitrdからhello worldしているし、成長するもんだなあと感心している。

というわけで、そういうマンツーマンに近い指導は、コロナウィルスの自粛でやりにくくなったなと思う。大学の講義はオンラインでも良い気もするが、重要な個人指導をどうするかだと感じる。どうしようかなあ。

ただ、そろそろ大学への登校も緩和されつつあるので、第n波が来ない限りは大丈夫そうではあるけれど。