楽天トラベルで日にちを当日に間違えて予約して即キャンセルするも全額請求された件

タイトルの通りのなんだけど、楽天トラベルで翌週の日にちを指定して検索してたら、いつの間にか当日にリセットされていた。そうとは気が付かず予約をしたら、なんと予約日が当日だった。慌てて予約キャンセルしたものの、今になって、あれは当日なので全額請求だよとのこと。

完全に自分が悪いのだが、悔しいのでホテルへ連絡してなんとかならないかと連絡したものの、楽天に問い合わせたが無理だと言われた。間違えて当日予約したものをキャンセルしたという数分のミスで1万円近く失ってしまい釈然としないが、規約をちゃんと読まなかった自分が悪いのだろう。

仕方ないので、今度1万円払ってくることにする。

【ネタバレ】翠星のガルガンティアと優生学

2018年の11月頃からNetflixで配信されている翠星のガルガンティアを少しづつ視聴していたが、12月頃末頃に観終わった。翠星のガルガンティアは2013年に放映されたアニメで、実は、当時もリアルタイムで観ていたのだが、再び視聴することで本作が傑作であることを再確認した。

翠星のガルガンティア コミック 1-3巻セット (角川コミックス・エース )

翠星のガルガンティア コミック 1-3巻セット (角川コミックス・エース )

 

本作には、優生学をテーマとしたシーンがあり、ちょうどそのときに読んでいた「RE:THINK: 答えは過去にある」という書籍で優生学について述べられていたので、いろいろ考えさせられた。

銀河宇宙同盟とヒディアーズ

細かいストーリ説明は割愛するが、翠星のガルガンティアの歴史背景としては、人類銀河同盟という主人公レドが所属する人間サイドの組織と、ヒディアーズという正体不明のエイリアンが大昔から激しい戦いを繰り広げているというものである。翠星のガルガンティアは、主人公レドがヒディアーズとの戦闘撤退時の亜空間航行に失敗し、人類の故郷たる地球へと迷い込むところから始まる。

人類銀河同盟における優生学

人類銀河同盟では、ヒディアーズとの激戦を生き残るため、資源の有効活用が至上命題とされていた。そこで、劣等な(ヒディアーズと戦闘できないと思われる)人類を切り捨ている。これはすなわち、優生学と呼ばれる考え方そのものである。優生学とは、優れた遺伝子のみを生存させることで社会構造を変革していこうという考え方であり、1883年にイギリスの科学者であるフランシス・ゴルトンが提唱した考え方である。

優生学とは、フランシス・ゴルトンのもともとの考えでは、進化とは即ち適者生存、不適者不生存であり、自然のランダムなふるまいに任せ、苦痛や死によってのみ起こる非常に残酷なものであるため、人工的に人に優しい進化を行おうというものであった。しかし、実際に優生学が実行された方法としては、ナチス・ドイツなどにみられる人権政策である。ヒトラー優生学の信奉者であり、優秀なアーリア人を残すためにホロコーストを行った。

銀河宇宙同盟では、不適格な人類は処分するという優生学的な考えで人類の選別を行っており、これは実のところホロコーストとかわりのないのではないだろうか。

ディアーズにおける優生学

ディアーズとはイカのような見目をした敵性エイリアンであるが、翠星のガルガンティアの話が進むに連れて、実は、人間が遺伝子操作によって進化し、宇宙空間でも生存できるようになった超人類であることが明らかになる。ヒディアーズはもともとはEvolverと呼ばれる革新団体で、地球滅亡を乗り切るために遺伝子操作によって超人類へ進化することで宇宙空間へ飛び出そうとしていた人間のことである。

おそらく、視聴者が翠星のガルガンティアを観て思うのは、遺伝子操作によって人間の形態を失いたくないというものであろう。しかし、レドの所属する人類銀河同盟では優生学的な考えのもと不適格な人類の切り捨てが日常的に行われていたらどうだろうか?もし、人類銀河同盟に切り捨てられる運命の人物がいて、Evolverに属して超人類に進化することで生存可能になるとしたらどうだろうか?

積極的優生学

人類の歴史を見てみると、ホロコーストなどのような消極的な優生学はすでに様々なところで実践され、今では禁忌とされている。しかし、遺伝子操作技術の革新により、遺伝子に改良を加えることでより適した遺伝子を持つ人類へと進化させることが可能になりつつある。

では、このような積極的に優勢な遺伝子を作り出していこうという行いについては、私達はどう考えるべきだろうか。遺伝的疾患を持つ胎児を治療することが許されるのならば、より知性の高く、肉体的に優れた人類を遺伝子操作によって作り出すことが許されるのではないか?

もし、優生学的な政策により切り捨てられるか、遺伝子操作によって生存の活路を見いだすかのどちらか一方を選択しなければならないとき、自分はどうするのだろうか。そのようなことを翠星のガルガンティアを観ながら考えていた。

しかし、チェインバーに搭乗できる可能性があるなら、人類銀河同盟も悪くないかもしれない。何故ならば、ラストのブリキ野郎のシーンはカッコ良すぎるのだ。

【読書メモ】RE:THINK: 答えは過去にある

過去のアイデアを再考する

新しいアイデアを生み出すことが技術や社会に革新をもたらすと私達は思うかもしれない。しかし、多くの場合、新規アイデアや新製品などは、過去に誰かが考案したものである。「RE:THINK: 答えは過去にある」ではそのような事実を指摘し、新規性も重要だが過去のアイデアを再考することも同様に重要であるとの気づきを与えてくれる。

ルネサンス期の新規性

古代ローマで哲学や科学や大きく進歩して、13世紀頃から16世紀頃にかけて、古代ローマの哲学や科学がヨーロッパに再輸入された。その頃の、最新科学と言えば古代ローマの知識のことであった。まさに、いにしえのファイナルファンタジーや、∀ガンダムの世界である。

ルネサンス時代、重力を発見した科学者がいた。かの有名なニュートンである。当時の先端科学と言えば、古代ローマ人の考えた知識のことであり、それこそが権威であったため、ニュートンは重力を自分の発見とするのではなく、古代ローマから考えられていたと嘘の説明しようとしていた。実際には、その説明はプリンキピアには載らなかったが、載せようといしていたそうだ。ニュートンは新たに発見を行ったが、昔は、過去のアイデアこそ最も考察すべき対象であった。

デモクリトス古代ローマの哲学者であり、原子論を提唱した人物でもある。しかしその原子論はデモクリトスの提唱後約2000年間も忘れ去られ、19世紀初頭になってようやくイギリスの科学者ドルトンが再び提唱し、20世紀頃に科学的に観測された。実は、この例のようなことが非常に多くある。

例えば、電子タバコや電気自動車などは、一度は失敗し頓挫したアイデアであるが、再考され広まったアイデアである。その他にも、ベーシックインカム、麻薬や覚醒剤の医療目的利用などなど、いろいろな物がある。アイデアは実は過去に様々考案されているが、それが重要かどうかは、その当時の社会規範、技術的限界、権力者などに依存して決定してしまう。新規性というのは、実は、過去にこそあるのかもしれない。

ここで、個人的に、本書の中でも特に面白かった民主主義について紹介しよう。

民主主義とは何なのか

現在の政治は、議会民主主義に則り代表者を選挙で選出して代表者が統治を行うものである。しかし、政府は裕福な利権団体の犬であり、専門職と化した政治家には2世、3世の議員が多く、自分たちの権力を永続化させることにしか興味がない。しかも、2〜4年周期で行われる選挙では、地球温暖化少子化といった長期にわたる政策はとれない。民主主義はすでに死んでいるのだ。実は、このような見解は、100年以上も前の19世紀頃から暗に陽に指摘されていたらしい。

ここで、古代アテネの考える民主主義についてみてみよう。古代アテネ(加えて大半のヨーロッパの時代)では、選挙は極めて貴族的な官僚選出方法だと考えられていた。貴族制とは即ち、人民なかで最良の人物に統治させることであり、選挙で最良の人物を選ぶことは貴族制に他ならなかった。

古代アテネでは主要な4つの都市のうち3つで、くじ引きによるランダムな選出を行って統治者を選んでいた。ランダムに複数人選べば、平均的には、人民の総意が政治に反映されると言えるのではないだろうか。そもそも、現代の議会民主主義は、貴族制なので再考すべきではないだろうか。

かなり過激な案ではあるが、民主主義というものをよく考えるためには面白い考えであると思う。この案ならば、大統領が暴走したり、ウォール街が利権を貪ったりはしないかもしれない。真実はわからないが、このように、過去には再考すべきアイデアが多く眠っている。温故知新である。

本書では、このように多くの過去のアイデアについて述べられており、なかなか楽しく読めた。他にも優生学については考えさせるところもあったので、また後日紹介したい。

炎と怒り トランプ政権の内幕 (早川書房)

炎と怒り トランプ政権の内幕 (早川書房)

 

【読書メモ】最後の資本主義

 ロバート・B・ライシュというとクリントン政権時代の労働長官であり、現在はカリフォルニア大学バークレー校 ゴールドマン公共政策大学院の教授である。

最後の資本主義

最後の資本主義

 

ルールを決める裕福層

本書はトランプ政権誕生前に書かれた経済書であるが、その内容はトランプ政権誕生を示唆している物となっている。よく、小さな政府(自由市場主義)か大きな政府かの対立があるが、本書はそのような二元論ではなく、今の市場ルールが誰の手によって決められているかを明確にすべきと述べている。

従来、アメリカの政治は2大政党制として民主党共和党が台頭している。大雑把に分けると、民主党が労働者のための政党であり、共和党ウォール街や石油産業などのいわゆる資本家と呼ばれる層の政党である。しかし、最近ではウォール街や巨大産業のマネーが民主党にも入り込み、労働者のための政党はどこにもなくなってしまったのが少し前のアメリカであった。つまり、一部の裕福層がルールを彼らを利するように変えてきてしまっていると指摘している。本書の大部分は裕福層がどのようにしてルールを変えてきたかを説明している。

処罰されないウォール街の面々

2008年9月15日、アメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズが、資産6,910億ドル以上とそれをはるかに上回る負債を抱えて経営破綻した。これを契機に世界規模の金融危機が起こったのがリーマン・ショックと言われる金融危機である。リーマン・ブラザーズは、財務的に弱い体質であることを意図的に隠蔽しており、裁判所が指名した検査官は、これを「注意深く仕組まれた詐欺である」と詳述したが、リーマンの役員経験者で刑事訴追された者はいない。

当時、明らかに犯罪に見えるような行為であっても、大きすぎて潰せないとして、逆に資金投入されて救済されていくのは傍目に見ても大変奇妙な光景であったのを覚えている。このリーマン・ショックは本書で述べられているほんの一例で、このような例は枚挙に暇がない。あからさまに恣意的な采配や不公正が横行したために、多くの人が市場や政府に不信感を持ち、経済ゲームはいかさまだと思うようになった。

いかさまゲーム

自分がいかさまなゲームの犠牲になっていると感じる人々は、全体に損をさせることによってシステムを打倒しようと考える場合が多いそうだ。本書では、次のようなゲームを説明している。

  1. 二人の学生がいて、1,000ドルを二人で分配することにする。
  2. 一人の学生は1,000ドルの取り分、つまり二人での分配方法を決める。
  3. もう一方の学生は、2. で決めた分配で良いか決める。ただし、事前に分配方法は知らされない。
  4. 3. でOKが出たら2. で決めた分配方法で分配し、NGであれば1,000ドルは没収され二人に分配されない。

このようなゲームを設定した場合、2がいかさまして、より多く取り分を取ると考えてしまうと、3. の学生はNGを出すことが多いそうだ。OKを出せば自分にも多少は取り分があるはずなのにである。

これはトランプ政権の誕生理由を思わされるような結果ではないだろうか。実のところ、誰もトランプには期待しておらず、いかさまゲームを打破しようとしているだけかもしれない。それに、今の経済は信用を基に成り立っているのに、その前提である信用が崩れ落ちれば、資本主義経済など成立するはずもない。

ウォール街バーニー・サンダース議員

しかし、ここ最近ではまたその風向きも変わってきているようだ。バーニー・サンダース議員といえば、民主社会主義者を自称する政治家であり、労働者側の政治家であると言える。そのサンダース議員周辺の動きが最近活発になってきているので、次のアメリカ大統領選挙では、前回とは違った様相を示すかもしれない。しかし、サンダース議員もだいぶ高齢なのでどうなるかはわからないが。

www.businessinsider.jp

jp.techcrunch.com

諸君 私は広角が好きだ

諸君、私は広角が好きである。パノラマも大好きだ。というわけで、これまで撮った広角、パノラマ写真をいくつか載せてみる。

オーストラリアのウィーンにある時計塔から

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医王山から富山の砺波平野

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石川県の獅子吼高原から

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能登

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ハワイのハナウマ湾

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ハワイのダイヤモンドヘッドからワイキキを望む

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ハワイのワイキキ夜景

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【読書メモ】Learn Better ― 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ

現代日本では、小・中学校は義務教育であるため学習を行ったことのないという人はほぼ居ないだろう。学習するということはつまり、数学や国語などについての知識や技術などを習得するということである。では、学習方法について学習したことのある人は、どの程度居るだろうか?

私達は、小・中学校、高校、そして大学、会社などで様々なことを学ぶが、より効率的な学習方法についてはほとんど知らないのではないだろうか。「Learn Better」は、そのタイトルの通り、よりよく学ぶための様々な方法について解説した書籍である。

Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ

Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ

 

誤った学習方法

本書では、いくつもの陥りがちな誤った方法についてを紹介している。例えば、以下のような方法は、非常に効率の悪い方法であると本書では述べている。

  1. 外国語で歴史や文学を数学を教えたりする
  2. 漠然とした願望を立てる

外国語で歴史や文学や数学を教えると、脳の短期記憶を使い果たしてしまい、どちらも身につかないし、『うまくなりたい』などの漠然とした願望を立ててもだめである。しかしながら、私達はしばしばこのような方法を取りがちである。

学習するためには脳の短期記憶を利用することが重要である。しかしながら、外国語で教えると、外国語と、教える対象、両方の短期記憶が必要なため、短期記憶の容量がオーバーしてしまう。私達しばしば、短期記憶の容量を過大評価してしまいがちである。

また、『うまくなりたい』というような漠然とした目標も学習のためにはならない。学習するためには、例えば、毎日○時間取り組むなどといった、達成しやすいベンチマークが重要だと述べている。そうすることで、自己効力感、自分は達成できるはずだという感覚を得られ本当の『うまくなりたい』という目標を達成することが出来る。

本書では、このような学習についての陥りがちな誤った例を多くあげ、よりよい方法についても解説している。そのどれもが面白い内容であった。例えば他には、教科書にマーカーを塗るのは学習に意味はない、TEDトークは学習するのに益よりも害のほうが大きいと述べている。もしその理由についても興味があれば本書を手にとってほしい。

教師の役割

本書では、学習時において教師、教師の必要性も説いている。まず初学者が陥りがちなのは、何を勉強すべきかがわからないということであると言う。その道の専門家であれば、何から学ぶかを示すことが出来るが、学習を始めたばかりの入門者がそれがわからないため、それらを示すことの出来る教師が重要であるそうだ。

また、フィードバックも教師の重要な役割だ。学習時において、何を向上させるべきかは学習者自身ではわかりづらい。教師は、学習者に適切にフィードバックする役割を担う。特に、教師と学習者のマンツーマンレッスンは非常に効果的であると述べている。

最近、情報通信技術やインターネット、ウェブの発達により情報取得が非常に容易になった。そのため、大学などはもう必要のないとの言説が聞かれるようになった。たしかに、情報という観点からだけ見ると、すでに情報はウェブ上にあふれているため、大学は必要ないかもしれない。実際、自分自身も大学などはもう必要ないかもしれないと考えたときもあった。しかし、本書を読むと、どうも、教師の役割は知識を授けるということではなく、学習のサポートを行うために存在するようで、まだ大学は必要であるのかもしれない。しかし、英語学習などでは、学習用アプリケーションがフィードバックを行ってくれるため、習得方法が体系化されているものについては、話が変わってくるかもしれないとも感じた。

 

臨界期説

臨界期という考え方がある。ある程度の年齢を重ねると、物事を学習することができなくなるという考え方である。プログラマ35歳限界説などが臨界期説の一つと言えるだろう。しかし、本書では臨界期説は否定されている。

例えば、伊能忠敬は50歳のときに、19最年下の当時31歳であった高橋至時に弟子入りし、天体観測や測量の勉強を行ったとされる。また、葛飾北斎が波を書き始めたのは30代の頃で、富嶽三十六景・神奈川沖浪裏として完成したのが北斎が72歳の頃であるそうだ。

年齢を理由に学ぶことをやめてしまっている人が多くいるが、学習する能力は失われていないのに辞めてしまうのは、それは大変もったいないことなのだろう。

千変万化に描く北斎の冨嶽三十六景 (アートセレクション)

千変万化に描く北斎の冨嶽三十六景 (アートセレクション)

学習は人間の基本的欲求

人間は考える葦であるとはパスカルの言葉である。人は、新しいものの探求を行うと快感を与えるドーパミンが放出され快感を覚える。つまり、学習は、食事、睡眠、セックスと同じ欲求であると本書は述べている。強制されて行う勉強は退屈すぎるが、新しいことを学ぶのは楽しいのだ。本書は学習について知る上で大変おすすめなのでぜひ読んでほしい一冊である。

年収750万円で幸福度頭打ち説についての考察

年収750万円で幸福度が頭打ちになるという説がある。これは、ファスト&スローの下巻、37章「経験する自己」の幸福感、で説明されている文章が元になっていると予想している。当該箇所を引用すると以下のように記載されている。

もうそれ以上は幸福感を味わえないという所得の閾値は、物価の高い地域では、年間世帯所得ベースで約七万五〇〇〇ドルだった。この閾値を超えると、所得に伴う幸福感の増え方は、平均してなんとゼロになる。所得が多ければ多いほど、好きなところへ旅行に行けるしオペラも見られるなど多くの楽しみを買えるうえ、生活環境も改善できることはまちがいないのだから、これはじつに驚くべき結果と言える。

つまり、このツイート画像では、7万5千ドルを750万円と換算しているのだろう。その換算レートが正しいかどうかはおいておいて、幸福度にはあるていど、頭打ちがあるように見て取れる。

幸福度の測り方

では、そもそも、幸福とは一体何なのだろうか。U指数という考え方がある。U指数とは、不快な状態で過ごす時間が全体に占める割合のことであり、U指数が少ないほど幸福であると考えることができる。U指数以外にも、もっと複数の段階に幸福度を区切って調査する方法もある。

このような調査方法から考えると、たしかに、ある程度の所得があれば幸福度は頭打ちしそうではある。

幸福とは何か

たしかに、U指数のようなもので幸福度を測ることが出来るような気もする。しかし、そもそも、幸福度とはU指数で表せるものなのだろうか。この点について、「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」という書籍で議論されている。大変おすすめなのでぜひ読んでほしい。

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

幸福はなぜ哲学の問題になるのか (homo viator)

 

以下、この本の説明の一部を拝借して、年収750万円説を考察してみよう。

上昇と充足

ある聡明な男がいたとする。その男は、ある日事故で脳に障害を負って幼児レベルまで知能が退行してしまった。しかし、その後は、周りの人に支えられ幸福に生きたとする。さて、私達はこの男のことを幸福だと考えるだろうか。

U指数のような指標で測ると、この男は幸福極まりないということになる。しかし、私達は普通この男のことを幸福であるとは考えないだろう。その理由は、上昇と充足という観点から説明できる。

上昇とは、地位の向上や、知識の獲得、所得の向上が幸福であると見なすことであり、充足とは現状に満足することこそが幸福であるとすることである。上昇という視点から充足を見ると、充足は現状に甘えており、人間が成長する機会を捨て去っていると批判できる。一方、充足という視点から上昇を見ると、上昇はどこまでいってもきりがなく永遠に幸福にはなれないと批判できる。

つまり、事故にあってしまった聡明な男は、主観的には充足しているかもしれないが、人間として成長する機会を失ってしまってしまっており、その意味では不幸であると捉えることも出来る。年収750万円説も同じであり、ある程度まで行くと、U指数のような値は頭打ちするかもしれないが、上昇という点から見ると際限がないと考えることも出来る。

幸せについて考える時は、上昇にとりつかれた人は幸せなのだろうかという点も考えなければならないし、人間が成長を諦めるのは幸せなのかという点も考えなければならないのだろう。

お金がないのは不幸

書籍「幸福はなぜ哲学の問題になるのか」では、お金が無いと不幸になる確率は高いと述べている。これを定式化すると以下のようになる。

¬ お金がある ⇒ ¬ 幸福

これの対偶を取ると、以下のようになる。

幸福 ⇒ お金がある

つまり、幸福な人ならば、ある程度お金を持っているということになる。しかし、私達はしばしば、以下のように考えてしまう。

お金がある ⇒ 幸福

これは正しくない。お金があっても不幸である人はいるだろう。愛する人を失って、大量の保険金が手に入った人は幸福だろうかということである。お金と幸福の関係性を誤認してはいけない。