研究不正のインセンティブ

なぜ、研究者は研究不正を行うか。それは、ぶっちゃけて言うと、得だから(得だと思うから)である。では、なぜ得だと思えるのかを考察してみた。

  1. あなたは今、賞与として100万円もらえることが決定してしている。いま、その賞与を投資することが出来、50%の確率で200万円になって返ってくる事がわかっている。しかし、残りの50%の確率で投資が失敗して0円になってしまう。投資しなければ100万円は手元に必ず残る。あなたは投資をするだろうか?
  2. あなたは今、失敗を補填するために100万円払わなくてはならない、しかし、ある投資に乗ることで支払いを免れるかもしれなく、成功する確率は50%である。ただし、投資が失敗した場合は合計200万円を払わなくてはならない。あなたは投資をするだろうか?

1, 2のどちらも賭けに成功したら+100万円、負けたら−100万円という点では同じである。しかし、はじめの基準点が違い、1では、100万円貰えることが確定してからのスタートで、2では、100万円失うことが確定してからのスタートでとなっている。プロスペクト理論では、人間は損失回避的に物事を決定すると説明している。

つまり、1のような場合は、多くの人は賭けに乗らず、安定して利益を獲得できるような選択をする。しかし、2のような損失が確定している場合は、多くの人がリスク追求的な行動を取り、賭けに出るようになる。

さて、ではここで、次のようなシナリオを考えてみよう。

  • あなたは任期付きの研究員であり、今のところ目立った業績はあげておらず、業績がなければ半年後には無職になることが決定しているとする。しかし、研究不正を行って業績を水増しすると、今後も職にありつけることがわかっており、研究不正が発覚しない確率は50%以上で、不正が発覚しなかった場合より良い待遇も得られる可能性が大きい。何もしなければ確実に失職だ。あなたは研究不正を行ったほうが得だと思うだろうか、損だと思うだろうか。

損失が確実な場合は人間はリスク追求的な行動を取ると知られている。研究倫理では不正は良くないと言うが、インセンティブ的に不正を行ったほうが良い場合はどう考えればよいのだろうか?不正を行った個人が悪いのか、監督者が悪いのか、社会システムに問題があるのかよく考えないといけないのでは無いだろうか。京都大iPS細胞研究所の山中先生が研究不正の監督責任をとると言っていたが、責任を取ることと本質的な問題解決はまた別のところにあると思わざるをえない。

ちなみに、研究不正にもいろいろな種類があり、捏造、剽窃などよく知られたものから、ギフトオーサーシップもある。捏造、剽窃は良く叩かれるが、ギフトオーサーシップは個人的な観測範囲では黙認される事が多く、研究に関わったとは到底言えない人が著者に入っていたりするが、なぜだか問題になることは多くない。要するにゴーストライターみたいなもんなので、問題だと思うのだが。

プロスペクト理論や、損失回避性、損失が確実なときにリスク追求的になる話などは、ファスト&スローという行動経済学の著書に詳しく書いてあるので、興味のある人は是非読んでみて欲しい。